AIR ABOVE MOUNTAINS (BUILDINGS WITHIN)-1 “フリージャズの鬼軍曹”セシル・テイラーに関しては「好き」というより「興味本位」という感じで近づいていた。だから「好き嫌い」に関係なく,彼のディスコグラフィーを片っ端から聴き漁った時期があった。

 …が,やっぱり「好き」ではなかったので,ある時,手持ちのコレクションの3枚(セシル・テイラー批評に登場した『LOOKING AHEAD!』『UNIT STRUCTURES』『CONQUISTADOR!』)だけを残して売り払ってしまった。
 結局,管理人のレベルでは前衛音楽は理解できない。『UNIT STRUCTURES批評の中でも書いたのだがセシル・テイラーフリージャズには「現代アート」に通じるものがある。

 福岡市在住の管理人の周りには幾つもの美術館がある。結構,美術館にも通っている方だと思う。久留米には“世界のブリヂストン”運営の「石橋美術館」があって年に数度は足を運ぶ。
 「石橋美術館」と来れば「現代アート」である。あのオブジェ,あの抽象画を見ていると頭の中でセシル・テイラーフリージャズが流れ出す。…と同時に思考停止…。でもそれが良かったりするのだから前衛はやめられない?

 そんな理解不能と分かっているのに,やっぱり見たくなってしまう謎のパターンで手を出したのがセシル・テイラーソロ・ピアノライブ盤『AIR ABOVE MOUNTAINS』(以下『エアー・アボーブ・マウンテンズ(ビルディングス・ウィズイン)』)。

 そう。買い直しである。何度聴いても理解不能で手離したにも関わらず「耳の肥えた今なら楽しめる」という甘い期待と,24BITリマスタリング&紙ジャケット仕様というマニア向けにバージョンアップしての再発にそそられてしまった私がバカだった。
 学習能力なし? 記憶力なし? 約20年振りに聴く『エアー・アボーブ・マウンテンズ(ビルディングス・ウィズイン)』の印象はあの当時のまま。トホホ。

 しかも若さ溢れる20代なら耐えられた『エアー・アボーブ・マウンテンズ(ビルディングス・ウィズイン)』の厳しい演奏が40代の身体には堪える。疲れる。エネルギーが吸い取られるような感覚がある。それ位の圧倒的なセシル・テイラーのパワーに完敗してしまったのだ。

 セシル・テイラーの集中力に観客の集中力が合わさり,呼吸するのさえ憚られる。この時期のセシル・テイラーは統制の利いた構造美よりも無秩序な破壊のテイストが先行しているので,どこで息を吸ってどこで息をはいたらよいのかさえ分からない。ポイントが分からないので聴いていて苦しくなってしまうのだろう。

AIR ABOVE MOUNTAINS (BUILDINGS WITHIN)-2 『エアー・アボーブ・マウンテンズ(ビルディングス・ウィズイン)』を,たった1人のセシル・テイラーが弾いていると考えるのは「発想の飛躍」である。
 ピアノには連弾という奏法があるではないか! 『エアー・アボーブ・マウンテンズ(ビルディングス・ウィズイン)』は,セシル・テイラー“その人”が幾十人も並んで連弾しているに違いない! 「現代アート」が理解できない者にはそうとしか思えやしない!

 そう。『エアー・アボーブ・マウンテンズ(ビルディングス・ウィズイン)』は,紛れもない前衛である。
 ゆえに44分30秒もの時間をかけて作り上げたオブジェと31分44秒もの時間をかけて作り上げた抽象画からなる長時間即興演奏を解説しようとする行為には無理がある。

 セシル・テイラーは何をイメージしながら演奏したのか? セシル・テイラーは長時間演奏のグランド・デザインを描いた上で本番に臨んだのか? セシル・テイラー本人にも着地点が分からないまま演奏が進行したのか?

 「現代アート」が分からない。前衛以降のセシル・テイラーが分からない。再発を買っても20年振りに聴いても『エアー・アボーブ・マウンテンズ(ビルディングス・ウィズイン)』が一向に分からない2014年の春寒であった。

  01. AIR ABOVE MOUNTAINS (buildings within) PART
     ONE

  02. AIR ABOVE MOUNTAINS (buildings within) PART
     TWO


(エンヤ/ENJA 1973年発売/TKCW-32190)
(ライナーノーツ/杉田宏樹)
(紙ジャケット仕様)

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