THE BUD POWELL TRIO-1 1947年と1953年の録音がセットで収められた名盤THE BUD POWELL TRIO』(以下『バド・パウエルの芸術』)。

 管理人は『バド・パウエルの芸術』を愛聴してはいない。演奏は素晴らしいのだが『バド・パウエルの芸術』からは,バド・パウエルの「人生の縮図」を感じてしまう。バド・パウエルの「早過ぎた老化」に悲しみを感じるからである。

 バド・パウエルは前期と後期に区別される。同じジャズメンの演奏なのだからそんなに違いはない,と思われるかもしれないが,誰が聴いても明らかに区別できる。
 このバド・パウエルのモデル・チェンジは残酷な必然。野球で言えば速球だけでは抑えられなくなった速球派ピッチャーが変化球で抑える軟投派へと転向した感じ。バド・パウエルは前期と後期は江夏豊の阪神・南海時代と広島・日本ハム時代のような明確な違いを感じるのだ。

 江夏豊の先発完投型からリリーフ・エースへの転身は,当時の南海のキャッチャー兼任監督=野村克也が球威の落ちてきた江夏を説得したことになっているが,実はこの転身に伏線があったことは余り知られていない。本格派の全盛期であった阪神時代に当時の監督=吉田義男が江夏にリリーフへの転向を打診したことがあったそうだ。

 吉田義男が『バド・パウエルの芸術』を聴いてみたと仮定して…。
 吉田義男は1947年のバド・パウエルにこのように言うであろう。「バド・パウエルさん,あなたは大天才です。後10年間は安泰ですね」。
 しかし1953年のバド・パウエルに吉田義男はこのように言うであろう。「バド・パウエルさん,そろそろ早弾きではなく内面の陰影で勝負してみるのもいいかもしれませんね」。

 そう。あと10年は安泰だと思わせる1947年の演奏から6年が経過した1953年の演奏が衰えて聴こえる。1953年の演奏も普通に聴けば素晴らしいのだが,いかんせん1947年の演奏が神懸りすぎている。
 天才すぎるジャズ・ピアニストの「早過ぎた老化」。1947年と1953年の録音を比較して聴かせる『バド・パウエルの芸術』はバド・パウエルの「人生の縮図」で満ちている。

THE BUD POWELL TRIO-2 1947年の演奏は総じて先発完投型。初回の立ち上がりは,ゆっくりとエレガント。これが5回ぐらいまで進んでくると,興に乗って来たのか?このまま止まらなくなるのではないかと思える程の鬼気迫るド迫力の演奏で「打てるものなら打ってみろ〜」。バッタバッタと斬りまくる。
 1953年の演奏は相手とのピンチに登場したリリーフ投手型。ゲーム中の駆け引き。相手との駆け引き。ストレートの中に織り交ぜる変化球の配球。力と頭脳とハートの強さ。

 才能の全てを出し尽くした前期のバド・パウエルと,下り坂に差し掛かり,どこかで時代の波に乗り遅れつつあることを自覚し始めた後期のバド・パウエル
 その意味で日本語タイトル『芸術』というのネーミングが素晴らしい。『芸術』は儚くも美しい。「芸術は長く人生は短し」のことわざを地で体感したのがバド・パウエルだと思う。

  01. I'LL REMEMBER APRIL
  02. INDIANA
  03. SOMEBODY LOVES ME
  04. I SHOULD CARE
  05. BUD'S BUBBLE
  06. OFF MINOR
  07. NICE WORK IF YOU CAN GET IT
  08. EVERYTHING HAPPENS TO ME
  09. EMBRACEABLE YOU
  10. BURT COVERS BUD
  11. MY HEART STOOD STILL
  12. YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO
  13. BAGS' GROOVE
  14. MY DEVOTION
  15. STELLA BY STARLIGHT
  16. WOODY'N YOU

(ルースト/ROOST 1953年発売/TOCJ-6118)
(ライナーノーツ/藤本史昭)

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