AUTUMN BLOW-1 渡辺貞夫の2枚の名盤マイ・ディア・ライフ』と『カリフォルニア・シャワー』の間をつなぐ“孤高の存在”『AUTUMN BLOW』(以下『オータム・ブロー』)。

 『オータム・ブロー』に『マイ・ディア・ライフ』の続編か『カリフォルニア・シャワー』の前編を期待しての購入であろうが『オータム・ブロー』は『オータム・ブロー』。『マイ・ディア・ライフ』でも『カリフォルニア・シャワー』でもない。

 理由は明白。『オータム・ブロー』は渡辺貞夫ソロにして「渡辺貞夫フィーチャリングリー・リトナー & ヒズ・ジェントル・ソウツ」の名義盤。
 『マイ・ディア・ライフ』が“おぼろげ”フュージョン。『カリフォルニア・シャワー』が“ごきげん”フュージョンを襲名する中で『オータム・ブロー』は“時代の寵児”ジェントル・ソウツとコラボして“ザ・クロスオーバー”してみせている。

 余談であるが,アドリブログの中では「クロスオーバー」という言葉はほとんど使っていない。使うとすればNHK−FMの名番組「クロスオーバー・イレブン」への言及時ぐらいなものか。
 理由は特にない。単純に管理人の性格柄,統一されていないと気がすまないのとSEO的にフュージョンの方が有利だと思うから。別にそうだと思えばフュージョンという言葉をクロスオーバーに置き換えても構わない主義。

 しかし上記はブログ運営上のお話であって,リアルな現実世界の管理人の中では「フュージョン」と「クロスオーバー」には明確な区別がある。その規準からして,どうしても『オータム・ブロー』はフュージョンとは呼べない。
 そう。『オータム・ブロー』で渡辺貞夫が目指したのは「クロスオーバー」であって「フュージョン」ではない。音楽の成り立ちと発展の仕方がフュージョン志向ではないし,勿論“新しい”ジャズでもない。

 管理人の幼稚な文章力で表わすのは限界があって申し訳ないのだが,この辺の微妙なニュアンスは,実際にCDを聴いていただかないと伝えらない。でも『マイ・ディア・ライフ』『オータム・ブロー』『カリフォルニア・シャワー』の3枚を聴き比べていただければ,管理人の言いたいことはすぐに伝わることと思う。“似て非なる”3枚の個性はバラバラである。

 『オータム・ブロー』の個性。それは渡辺貞夫が「リー・リトナー & ヒズ・ジェントル・ソウツ」の一部として機能している音楽だということ。
 つまるところ『オータム・ブロー』の個性とは「ジェントル・ソウツプレイズ渡辺貞夫」。

AUTUMN BLOW-2 渡辺貞夫の予想以上にジェントル・ソウツは凄かった。渡辺貞夫がまだアメリカにいた頃にはジェントル・ソウツのような若者はいなかった。渡辺貞夫ジェントル・ソウツに「カツアゲされてノットラレタ」感漂う〜。

 しかし,この感じがフュージョンではなくてクロスオーバーなんだよなぁ。全員が全力で盛り上がっているのに軽いんだよなぁ。
 「カツアゲされてノットラレタ」から吹けるフルートソプラニーニョがある。ジェントル・ソウツに「ギンギンに煽られた」から吹けるアルト・サックスがある。
 “大将”リー・リトナーと【ある日郊外で】でタイマンを張った瞬間の密着度。もはや渡辺貞夫はバンドの一員であり,アーニー・ワッツを差し置いてジェントル・ソウツの“顔”である。ナベサダが一番カッコエェ〜。

 『オータム・ブロー』でのタッキングがあったからこその“歴史的名盤”『カリフォルニア・シャワー』の誕生であり「ナベサダフュージョン」の誕生なのである。

 2枚の“超名盤”『マイ・ディア・ライフ』と『カリフォルニア・シャワー』の間に“埋もれた”『オータム・ブロー』を愛聴する瞬間にナベサダ愛が爆発してしまう。星四つのマニアック・ラブ。

  01. JUST CRUSIN'
  02. THE CHASER
  03. SOMEDAY IN SUBURBS
  04. RAPTURE
  05. INNER EMBRACE
  06. ORANGE BYPASS

(フライング・ディスク/FLYING DISK 1977年発売/VICJ-61364)
(紙ジャケット仕様)

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