SARA SMILE-1 “帝王”マイルス・デイビスミュートを自身の演奏の中心に据えたのには訳がある。言うなれば「禍転じて福と成す」! ミュートが生み出す“抑制されたリリシズム”は前向きの理由ではなく後向き=生き残るスベであった。

 マイルス・デイビスとしては(願いがかなうことなら)ディジー・ガレスピーファッツ・ナバロのような,高らかに力強くブローする“花形”トランペッターになりたかったと思う。
 パワフルなアドリブは強靱な肉体があってこそ。マイルス・デイビスの“小柄な”身長が一発大ブロー勝負を許さなかった。マイルス・デイビスミュートへの転身は,ピンチをチャンスへと変える“逆転の発想”によるものである。

 さて,市原ひかりである。市原ひかりは女性である。しかも女性の中でもとりわけ華奢なタイプ=小動物系である。そんな“かよわい”市原ひかりが大男の揃うトランペット界にあって,俄然人気を博しているのには訳がある。
 そう。マイルス同様,市原ひかりも自分を活かすスベを知っている。市原ひかりの最大の武器,それこそ“柔らかな歌心”である。

 上記肉体的なハンディを意識してのことか,あるいは無意識の本能なのかは不明だが,市原ひかりアドリブの使い方に個性的が出ている。長々と奇をてらったアドリブをとるのは市原ひかりのスタイルではない。
 市原ひかりアドリブは「必然性」を感じさせてくれる。ここぞ,というパートでバッチリ決めてくれる。作曲者を“欺く”無意味なアドリブは一切吹かない。言わば原曲の魅力を引き出すためだけの“隠し味”程度のアドリブなのである。
 そんな“歌心重視”の市原ひかりのスタンスが,かえってジャズ・マニアを熱狂させている。

 『SARA SMILE』は,市原ひかり初の本格ジャズ・アルバム。NYの豪華なサイドメンに囲まれての演奏である。
 マイルス・デイビス同様,派手なブローは出てこない。音色としてはソフト&メロー系。「繊細に+しなやかに+優しく+柔らかく」=素の彼女そのままに?清らかな音色である。
 しかし,こう書くと矛盾しているように感じるかもしれないが『SARA SMILE』の何の変哲もないストレートなド・ジャズがかえって市原ひかりの“柔らかな歌心”を意識させてくれる。

SARA SMILE-2 この感覚がマイルス・デイビスのそれと良く似ている。たった一音を発する,ただそれだけのために全体を意のままに操り,自分の存在感を誇示し続けたマイルス・デイビス。そんなマイルスの“一撃必殺”の演奏スタイルと市原ひかり“柔らかな歌心”が被って聴こえる瞬間が何度もあった。

 そう。市原ひかりの本質とはトランペッターの枠を越えたトータルなジャズメンである。今後,市原ひかりの成長と共に,マイルス・デイビス同様,音楽表現の幅がぐっと広がってくることだろう。その時にどんな立ち回りを務めるのか?
 現在の市原ひかりの課題は,次々と沸き上がる表現衝動を具現化するテクニックであろう。既に最高度の歌心を身に着けているのだから,あとはそのアイディアを“鼻歌を歌うかのように”を自由自在に表現出来さえすれば…。

 『SARA SMILE』のリーダーは市原ひかりであるが,残念ながらリード・トランペッタードミニク・ファリナッチの方である。
 ワンポイントやロングリリーフだけでなく先発完投もこなせるようになった時,市原ひかりマイルス・デイビスの足跡を歩き始めることであろう。

 
01. Cleopatra's Dream
02. Fragile
03. Blue Prelude
04. It Could Happen To You
05. I've Got It
06. Sara Smile
07. Golden Earrings
08. Intro
09. Close to You

 
HIKARI ICHIHARA : Trumpe, Flugelhorn
ADAM BIRNBAUM : Piano
PETER WASHINGTON : Bass
LEWIS NASH : Drums
DOMINICK FARINACCI : Trumpet
GRANT STEWART : Tenor Saxophone

(ポニー・キャニオン/LEAFAGE JAZZ 2006年発売/PCCY-60003)
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(ライナーノーツ/高木信哉)

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